皇族批判と、1937年の自画像

①ノブリス・オブリージュ
デモ行動自体は暖めておいてよいけれど、他のテーマでやったら?、という感じですね〜

そもそも、皇族って、必要なんでしょうかね?

アメリカ、ドイツ、韓国にもありません。どの国も、GDPはこの20年間伸び続けています(^_^)

王のホームランは首都圏の従業員の団結に、高校野球は同郷人の。

イギリスのダービーは、労働者とディーラーが一緒になれる場を提供していますね。

巨人や高校野球には、その効果は無いですね〜

国民のパンダ扱いをして、皇族と生まれた人の人権を侵害する価値はあるんでしょうか?

日本人として一体感を感じるなら、大谷や本田を応援しては(^_^)

むしろ、首相や官僚が、雇われ番頭気分になってしまっていないか、無意識の副作用が心配です。

ワシ、日本のオーナーじゃないもんね。任命されただけだもん。みたいな(^_^;

アメリカのように、王族無しにしてはダメですかね?

国民一人一人が、ケネディやオバマを目指す。日本にノブリス・オブリージュを導入する契機にすると良いのでは。

その方が、日本から次のジョブスやムハマド・ユヌスを出すことにつながる気がするんですよね〜

②1937年の自画像
日本って、1937年を、他者のせいにしていますよね?

軍部がやった、ヒロヒトの下にやった、赤紙で連れていかれた、と。

でも、集落を挙げて「非国民!」と罵っていたのは、自分たち日本国民なんですよね。

軍隊を「自衛隊」と呼び換えて、解決したことにする。

天皇の任命権に限定して、解決したことにする。

本当は、1937年の自画像と向き合い続けることが、解決なのでは?

ドイツは、ナチスの存在を認めて、自分たちの問題として、批判し続けていますよね。

(EUのNATOも、敢えてNazis党を想起させる呼称にして、忘れぬように。あくまで記号論の話ですが、「自衛隊」と誤魔化す日本とは真逆では。)

③仮想敵に吠えると、ディスカッションできなくなる
1937年を自分たちとして捉えないと、軍事政権を仮想して悪として吠える、新聞とテレビが存続し続けてしまうんですよね。

すると、現実的なことをディスカッションできない子供が育ってしまいます。

そのまま大人になり、やがて地域の相談役にも。

日本国民全体が、ディスカッションできない社会になってしまいます。

④ネガティブな現象の存在を認めると、その先にアイデアが進む
ネガティブな社会問題を口に出せることって、実は大切なんですよね。

例えば人を切ること。日本ではあまり口に出ませんが、実際には非正規化、工場の海外移転は進み、従業員の所得は無印良品からSeriaに変わってきています。

フランスでは、人を切ることは前提として認めた上で、その先の、いかに人手をかけずに済ませる工夫をするか、そのアイデアを考え続けています。

つまり、ネガティブな現象の存在を前提として認めると、その先にアイデアが進むんですね。

⑤ネガティブを口に出せないと、その選択がアクションになってしまう
それを、言霊をおそれて、ネガティブな現象を口に出さないでいると、そのネガティブな行動を選択することが、アクションになってしまうんですね/

流行りのコロナで言えば、営業停止について議論しないでいると、知事の「刀を抜く」という発言が、カッコよく見えてしまうような。

あるいはウツから復活した安倍さんが、ETFを買っているだけで、生産性向上策は何もやっていなくても、「憲法改正」と言っていれば、タカ派の実行力があるように見えてしまうという(^_^)

⑥1937年の自画像から、次のジョブスへ
ということで、ドイツのように1937年を自画像として向き合うこと。皇族を無くして国民一人一人がケネディを目指してもよい。

それが、日本から次のジョブスやユヌスを出すことにつながると思うんですよね〜

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