ドーハで思う、縦書き日本の課題
アラビア語は、右から左に書く。
人間の目は、左右についている。
地平線の獲物を捉えるため。
したがって、文字は、横書きの方が目に入りやすい。英語が縦書きだったら、と想像してみよう。
中国語に限っては、漢字が表意文字なので、縦書きでも大丈夫。1文字の中に、意味がある。
仮名を使う日本語は、縦書きにこだわる必要があるのか?
古代は、巻き物。
机の上に左右に広げる。
その点では、縦書きの方が、改行が固定され、使いやすい。
(表音文字の英語は、複数の文字で一つの意味を成す。視野に収まることを優先して横書きにし、巻き物を上下に広げてガマンした。)
しかし、現代は長方形の新聞や本になっている。
縦書きのメリットは、無くなっている。
縦書きと横書きで、読解スピードにも差があるようだ。新聞や文系の本も、横書きで構わないはず。
日本の改善点の1つ。
理由を知ろうとせずに、前例を踏襲し続けること。
例えば焼き物の金継ぎ。
今ではどこも金ピカだが、実は秀吉と千利休の時代には、漆だった。
金継ぎの祖との一説があるのが、本阿弥光悦。
江戸の大名が、刀を置いた郷愁。
鉄への懐かしさに応えるべく、創った器が雪峰。
金なのだが、溶鉱炉の、溶岩のように流れる鉄を、ダイナミックに表現。太く、稲妻のような力強さがある。
江戸の泰平。富を蓄えた商人が、武家に憧れる。
金を使って、茶碗を直す。
しかし、光悦のダイナミックさは失われ、ただの細い金ピカとなる。
お金信奉も重なったか、それが300年続く。
明治から令和に至っても。。。
石川県で一箇所だけ、漆直しもアピールしていますね。(金継ぎ工房 八木)
利休の筒井筒と、光悦の雪峰。
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